農園紀行 Single estate
 
 

人類が南太平洋に到達したのは,5万年前の氷河期だそうだ。
豊富な地下資源を持つことで今後世界のエネルギーマーケットのキャスティングボードを握るであろうパプア・ニューギニアはその中でも最古の歴史を持つ。
紀元前2000年頃からラピタ人による高度な土器文化が広まり、早い段階でシェルマネー(貝の貨幣)が流通する高度な文明を築いたそのPNGが初めて西洋 の歴史に登場するのは1526年のことだ。英国、ドイツによる植民地統治を経て第一次世界大戦後に全土が豪州領となり、太平洋戦争の際の日本軍の進駐及び 自治政府を経験し1975年に独立自治政府を樹立、英国王を元首とする立憲君主国として緩やかな独立を遂げた。
豊かな生態系・民俗文化を誇る「最後の秘境」としても知られ、4000m級の高山からサンゴ礁まで豊かな自然と、極楽鳥、蝶、ラン、シダなど熱帯の多様な生物が生息し、800を越える部族からなる個性あふれた民俗文化が伝承されている。

コーヒー裁培は1937年にルター派の宣教師によってブルーマウンテンの苗木(ティピカ種)が持込まれたのが始まりだという。その後50年代末に入りオー ストラリア人がPNG政府から買い上げた沼地で大規模な生産を始め、これらがそのまま現在の主要生産地となっている。つまり、1950年代から手つかずの 状態で生産地が維持されているならば他の生産地(生産性を上げるために配合を繰り返したハイブリット品種ばかりとなった)では見つけるのが難しくなった ティピカ種が農園全体に広がる光景「ロスト・ワールド」が現存しているのではないか。
そんな思いから2014年7月、筆者は初めて同地の土を踏む事となった。

 
現地ではお約束の歓迎ダンス♪
 
 

現地に着いてまず気がついたのは、首都ポートモレスビーで目についた日本人の多さだ。
日本からの直行便があるにしても多すぎる程の日本人が空港に溢れていたが、この疑問はすぐに解決する。
全くの偶然ではあるが、同時期に日本の首相として中曽根総理以来29年ぶりに安倍内閣総理大臣がPNGを訪問していたのだ。
周辺国からの圧力が増す中、外交強化政策の本筋ともなった感のあるオセアニア・太平洋諸島との関係強化が主な目的で、太平洋諸島への訪問としては異例の3 日間の行程である。全く同時期に筆者も高品質な商品を捜し求めて同地入りしたが、こういった形で日本国としての姿勢とコーヒーマーケットの動きがつながる 事はあまり記憶にない。

 
他の生産地と比べると樹間をかなり狭くとっている様だ。木々のメンテナンスがその分重要となるが収量増加のメリットは大きい

むしろ毎度、参考にする外務省の海外安全情報では「渡航の是非を検討して下さい」「渡航自粛」といった表現がされている所ばかりな ので最近では見るのを止めてしまった具合である。そんな訳で現地の人間に「お前達も日本の首相の関係で来たのか?」と尋ねられて初めて我が国の首相が PNG入りしたのを知った次第だ。

 


インド人マネージャー達の説明に感心
 

今回訪問を行ったのは現地企業が運営する有名農園。
ただし、この企業は運営母体というよりはオーナー企業といった割り付けらしく、農園の運営は全てインド人グループ(一部スリランカ)が担っていた。他の産 地でも外国人オーナーが運営する農園は珍しくはないものの、現場のマネージャー達も含めて外国人グループで固めてしまうというやり方は初めて見た。おそら くは階級思考の徹底しているインド人が最も能力を発揮出来るのがこの方式なのだろう。

 
 
世界的にもロジスティックな思考力が高く評価されているインドから(コーヒーや紅茶の農園運営に関しても定評がある)ヘッドハンティングされたという運営グループは農園運営のそこかしこにインド式マネジメントを取り入れていた。 世界の最新鋭技術を誇る農園では当たり前となっているマイクロ・ロット(小単位ロット)生産や精選精度の向上はもちろんの事、不良豆をはじく手選別を複数 回行う事で(世界的にも特別なオーダーが無い限り複数行う事はあまりない)市場競争力を高めるマーケット戦略も見たところ上手く機能している。

大規模なハンドピック場
 
ハンドピックのスピードなら負けません
 
中でも同グループの代表的なシグリ農園(日本のコーヒー関係者にPNGの代表的な農園を尋ねたら十中八九この名前が出るだろう)では1600mの標高と周 辺環境、気象条件などコーヒーの生育には最高の条件が揃っている。そこに完熟チェリーの手摘み、たっぷり時間をかけた発酵工程と天日乾燥、複数回の丁寧な 卓上手選別で翡翠を思わせる程の蒼色に輝く豆に仕上がる行程は無駄が無く彼らのロジスティック・マネジメントの神髄を見た思いがした。

天日干しはひたすら人海戦術となる
 
乾燥行程でのコントロールで翡翠色の豆が仕上がる


とにかくカメラを一人に向けるとやたら人が寄ってくる
 

園内で働くのは現地雇用のワーカー達。
同国内でも地域によって人々の性格に差はあるとの事だが男も女もおおらかでよく笑う。(よく作業の手も止まる笑)

比較的寡黙な(というか無駄話をしない)運営グループとは全く違う印象だ。

 
 
 
ここで筆者が現地を訪問するにあたって注意する点がいくつかあるので補足したい。 すなわち、「現地の運営状況」「オーナー(経営陣)の人となり」「「オーナー(経営陣)とワーカー達が信頼関係を構築しているか」という3点だ。これらは 持続的な付き合いが可能か、継続的に同品質のカップが供給可能か、といった現地から送られて来るサンプルからは見えて来ない項目を判断する重要な要素であ る。 当然このインド人グループが運営する農園で気になったのは「オーナー(経営陣)とワーカー達の関係性」だ。 国民性も大きく違うであろう中でどのような関係が成り立っているのか。この辺りのコミュニケーションが難しそうだと感じたのでマネージャーに「現地人との交流で注意している事はないか?」との質問をぶつけてみるとこんな答が返ってきた。
 
「ワントクだから問題ない」 大洋州地域の社会を理解する上で欠かせないのが「ワントク(WANTOK)」だ。英語の「ワン・トーク」を由来とし、「同じ言葉を話す人々」を意味する言 葉で仲間はお互いに助け合ったり財政的に分かち合ったりすることが暗黙の了解とされている。大洋州地域で極端な格差や貧困が少なく地域&宗教紛争が少ない のは「ワントク」の考え方が浸透しているからだという考え方もある。 確かにマネージャー達は英語でのやりとりの合間に現地人と聞き取れない言葉を交わしていた。自身が現地語を巧に操り、ワーカー達に「ワントク」を意識させる事で仲間意識を持たせ意思疎通を円滑に進めているとしたら…。
このマネージャー氏、思った以上にやり手である。


収穫は全て現地ワーカーによるハンドピック
 

視察の大きなテーマだった希少なティピカ種の栽培状況はどうか。
現存するどころか視察した産地ではほぼ「ティピカ種」オンリー。
「ロスト・ワールド」どころか博物館に恐竜の化石を見に行ったらT-REXがぞろぞろ歩いていた様なものだ。
こんな光景を見せられて何故か南紀白浜のサファリでパンダの「群れ」を見た時の感覚が蘇る。(同園はパンダの繁殖に定評があり、一時はまさしく群れるほどいた)

 


完熟豆が水洗設備でルビーの様に輝いていた
 

一点気になったのはティピカ種オンリーではないという事。
ほんの一部ではあるが病害虫に強いハイブリッド種を植える事でリスクヘッジしているとの回答だったが何とももったいないと思うのは筆者だけだろうか。他の 産地では見つけるのが難しいティピカ種100%農園。確かにこれを実現する為には相応のコストとリスクを覚悟しなければならないだろうが、それをカバーす るに余りある希少価値とマーケット需要が期待出来るし、何よりもマーケットで失われつつあるティピカ種に命を吹き込むというロマンがある。

 
 

インド哲学ではインド人の思索をこの様に表現していた。

「死体はただの物体」

インド人の思索がいかに妨げないか、論理を貫き、行けるところまでいってしまうその思考の論理的一貫性に感情が入る余地はない。 「一瞬か恒常か」で説かれる刹那滅の哲学が実は論理的考察の極致として生み出されてきた。 そんな彼らの考え方に「ティピカ100%農園のロマン」を押し付けても理解出来っこないのだ。

 
 

 

順調に進めば2014年には年間660万トンが生産され日本の年間消費量の5%を賄うという大規模な液化天然ガス(LNG)プロジェクトが進み、日本とPNGではパートナーシップの更なる発展が期待されているが、両国の間で積極的な交流が始まったのは近年になってからである。現在でも太平洋戦争での遺骨収集をはじめとする慰霊事業が進行形であることから分かる様に、当初は独自の文化とオーストラリア経済に支えられたPNGとの交流は一筋縄ではいかなかっ た様だ。その後、現在の関係性を築き上げた(だからこその首相3日間訪問だったのだろう)関係各位のご苦労計り知れない。

 
現在、筆者も如何にして「夢を持つ」日本のコーヒーマンとしてのロマンを「現実の事象で判断する」インド式論理的コーヒーマン達に伝えるか深謀遠慮の最中である。
 
ヒロコーヒー
焙煎責任者 山本光弘
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