農園紀行 Single estate

皆さんは人類の原初の地がアフリカだという事はご存知だろうか?
そしてコーヒーの原初も同じくこの地であることも。
タンザニアのラエトリ遺跡には700 万年前のものと見られる二足歩行動物の足跡化石が残っている。
この足跡の主は長い腕と短い足を持ち、チンパンジー程度の脳を持っていた様だ
我々の祖先がチンパンジーの祖先と別れたのはちょうどこの頃らしい。
しかし何故、我々ヒトとサルが別れたのかを明確に答える事が出来る学者はいない。
ヒトとは何か。
人類学者にとってこの問いかけは「生命とは何か」と同じく難しい問いである。
そしてこの問題にぶつかった時、学者たちはひとしく原初の地に目を向けるという。
 
アフリカ初のレインフォレスト認証農園を訪ねて


アフリカに足を踏み入れた私がまず向かったのはタンザニア北部モシ地方。
キリマンジャロ山の麓に位置する世界有数のコーヒー生産地である。
訪問したのはドイツ系移民、メドック夫妻が運営するマチャレ/ウル農園だ。

なぜここを最初の訪問地に選んだのか。
現在、私達が最も力を入れているサステイナブル・コーヒーのひとつの完成形がここにあるからである。
園内に掲げられたFARM RULE(農園規約)にアフリカ初のレインフォレスト認証を得たメドック夫妻の運営方針が表れている。

 

マチャレ農園の管理ハウスには
彼らの運営方針が掲げられている。
 

「私達は以下の方針で農園の運営にあたっています。(要約)
環境
コーヒー生産エリアのみならず、保護区の環境を守り保存していきます。
また、周辺住民が環境問題、すなわち、樹林管理や土壌浸食防止、調和のとれた害虫駆除などにつ いての意識を高めるよう、働きかけています。
自然環境保護
農園の自然保護区が、野生動物の心地よい住み家や通り道になるよう保護します。
野生動物のへのいかなる狩猟行為および、わなをかけることを禁止します。
健康のために
農園で働く人々のために定期的に健康に関するセミナーを開きます。
私達には農園で働く人々が健康な状態でいられるようにしておく責任があります。
自然環境保護
農園の自然保護区が、野生動物の心地よい住み家や通り道になるよう保護します。
野生動物のへのいかなる狩猟行為および、わなをかけることを禁止します。
労働者および働く人々の福利
男女の格差なく平等に昇進させます。
私達はいかなる種類の差別も非難します。

慈愛に満ちた言葉にメドック夫妻の人柄が見えると言えば言い過ぎか。
しかし農園内を散策すればそのオーナーの考え方は手に取る様に伝わってくる。
特にこの農園はベンテ・メドック夫人のコーヒー生産と環境に対する姿勢が色濃く反映され、非常に女性的で優しい空間であった。
力のある葉色をしたコーヒーと大きく枝を張り出し強い日差しから幼木を護るシェイドツリー。
小鳥と動物達が暮らす自然保護エリアとそれを見下ろす様にそびえる圧倒的なキリマンジャロ峰。聞けばレインフォレストの認証審査は加点法で100点中80点で合格のところ、同農園は99.75の評価だったという。
照れながらも、しかし誇らしげにそう話してくれた夫人に同じくコーヒーに携わる者として強い共感を憶えた。

 
キリマンジャロ峰とシェイド。訪問日はあいにくの天候だったが、後日こんな素晴らしい写真を送って頂いた。


左から、ラルフ・メドリック氏、筆者、ペンテ夫人、兼松商事武井氏(彼とは2度目の海外視察だが、今回もアテンド役を完璧にこなしてくれた。感謝。)
 
MISSION 2 ケニアコーヒーの秘密。
次に私が足を向けたのはアフリカでも高品質マイルドコーヒーの生産で知られるケニアだ。
赤道付近に位置するだけに酷暑のイメージがあるケニアだが実はその大部分はヨーロッパの夏より暑くなることはない。特に首都ナイロビは海抜1600m付近に位置しておりそれなりに日差しは強いが湿度がほとんどないので非常に過ごしやすい。
まずはこのナイロビにあるケニアコーヒーボードを視察する。ここは1934 年に設立された業界の監督とマーケティングを行う農業省の組織だ。ボード内にはコーヒーの輸出業者や各農協、オークション会場なども入居しておりまさにケニアコーヒーの根幹を担う組織といった印象。
 

左:ケニアコーヒー・ボードとオークション会場。コロンビアの不作から欧州のバイヤーが一気にケニアの確保に流れてる様で視察時はかなりの落札価格が高騰してるようだった。
右:サンプル&視察ルーム。オークションに出品されるものはすべて事前にここでサンプルが入手できる。それにしてもすごい量。これで一週間分と聞いてさらに驚く。
 
ここはナイロビに勤める人たちのベッドタウン化が進み近年、耕作地が減少傾向にあると聞いたが、それを差し引いても首都周辺にこれだけのコーヒー園が広がっている光景は初めて目にする
そしてブラジルとその風景が非常に似ていたことにも驚かされた。
緩やかに続く丘陵地にコーヒーの木が植わっている光景が延々と続いている。
大きな違いは大型の機械を導入して収穫するブラジルに対しここケニアではピッカーによる手摘みという点か。
 

ブラジル・セラード(左)とケニアティカ(右)。並べるとその類似点がよく分かる。
 
車を降りて木の状態を確認してみる。
こまめに手入れされ、剪定されているであろう事はその樹形から分かる。
他国のそれと比べるとかなり枝を刈り込んでスッキリした印象だ。
その分収量が減る事は生産者も織り込み済みの様で、それより何より枝の間を空ける事で生まれる「空気の流れ」が重要なのだという。
日光に弱いコーヒーをシェイドグロウン(日陰栽培)で栽培する事も「空気の流れ」を遮る可能性があると彼らは否定的だ。
たとえそれが近年のコーヒー栽培の常識と相反したとしても長い間かかって先人が病害虫と戦ってきてたどり着いた形を守るのだろう。

いや、むしろ日照過多という栽培に対してネガティブな条件が残っているにも関わらず、世界のバイヤーをこれだけ引きつける高品質コーヒーを生み出しているそのポテンシャル(赤土(ローム)&気候条)を評価すべきなのかもしれない。
 

左:彼らによると、枝野隙間を空ける事で空気の通り道を作り、病害虫を予防するという。
右:シェイドグロウン(日陰栽培)の導入もその効果を認めながらも同じ理由から空気の流れが変わるとその導入に消極的だ。訪問先でもほとんどシェイドは確認出来なかった。
 
 
MISSION 3 エチオピア、懐かしき未来の木。
 

首都アジシアベバ、朝の通勤風景。
アジスの人々はある程度の豊かさを享受出来ているようだ
  首都アジスアベバはそれなりに発展し、携帯電話を片手に若者が街を闊歩しているが、車を1時間も走らせると目に飛び込んでくるのは延々と続く色を失った大地だ。
過耕作のうえに牛の過放牧という状況があちこちで見られ、大地の生命力が低下し、薪や水が時を経るごとに得にくくなっているのだ。

結果、山々は保水力を失いエチオピアは世界で最も水へのアクセスが困難な国となった。
家畜は彼らの生命線でもあり豊かさの象徴でもあるが、放牧が樹木の伐採以上に深刻な環境問題を引き起こしていると唱える専門家も多いと聞く。
 
コーヒーの産地はさらに5、6時間車を走らせなければならない。
産地に近づくにつれ車窓の風景は緑色を取り戻していったが、多分に漏れず他のアフリカ諸国と同じく人口爆発に悩むこの国の事である。
この風景が10年先もつづく補償などどこにもない。
その事を思うと自然と車中口数が少なくなる。
 

驚く程綺麗に整備された園内。見事なシェイドだ。ここでは近くレインフォレスト認証も取得予定だときいた。
ハイクオリティの商品はアフリカンヘッドと呼ばれる棚で天日干しで仕上げられる。

エチオピアンハットと呼ばれる家屋の脇にコーヒーとフルーツの木。これが現地のコーヒー生産における最もスタンダードな形だ。
  西部の都市ジマーからさらに1時間ほど山間に入ると国営農場が点在するエリアに出る。
エチオピア政府が外貨獲得の為に海外バイヤーのリクエストを反映してシスティマティックに運営する農園は環境を活かした森林農法が整然と行われ非常に管理が行き届いていた。

その希有なカップ・キャラクターの産地として近年マニア垂涎の地となったイルガチェフェではエチオピア旧来からのガーデンコーヒーが主流だ。
民家のすぐそばに植えられたコーヒー。
いやコーヒーのそばに民家が集まったのか。
何千年と続くこの地での営みのおそらくは初期の段階から人とコーヒーはこうやって寄り添ってきたのだろう。


訪問先ではこのコーヒーセレモニーでの歓待を受けた。豆を焙煎し、挽き、炭火でわかしたお湯で濃い目に入れたものを小さなカップに入れて出す。焙煎する所から客人の前で行うのがエチオピア流ホスピタリティ(歓待)。脇では乳香を焚き、その馥郁たる薫りの漂う中、客人はポップコーンや豆菓子とともにコーヒーを愉しむ。
 
コーヒーの原初の地とされるここエチオピアにはいくつかの発祥にともなう伝説が語り継がれている。
中でも有名なのが山羊飼いのカルディの話だろう。
 

この地(カファ地方)がコーヒー原初の地であることを説明する看板。
  カルディという名の牧童がいて飼っていた山羊が夜になっても眠らず騒いでいるため教会の修道士に相談をした。
「何か特別なものを食べたに違いない」と考えた修道士達が付近を探すと山羊に食い荒らされたコーヒーの木を見つけた。自分達も試しにコーヒーの実を口に入れたところ眠気が吹っ飛んだため礼拝の際に用いる様になったというのだ。

この国ではアルコールの様な感覚を麻痺させるものより、コーヒーやチャットと呼ばれる覚醒作用ある葉っぱなど、感覚を鋭敏にする嗜好品のほうが人気がある。
ムスリムも多いので元々アルコールは御法度なのだがそれを差し引いても彼らは総じて覚醒を求めている様に感じる。
 
正教であってもイスラムであっても宗教者達が求めたのは祈りへの集中だった。
そこで必要なのは食料でもアルコールでもなく自らを覚醒させてくれる薬なのだ。
コーヒーもチャットも宗教者の儀礼に使われる様になってから発展していったのは偶然ではない。
 

旅の終わり、コーディネーターがある民家の裏手にある1本の古木を見せてくれた。 大きく張り出した枝に苔むした太い幹。
多くの農園を視察してきた私でもそれがコーヒーの木である事に気がつくまでに随分時間がかかってしまった。
人の手を寄せ付けず、しかし人が寄り添うのを否定もせず、その木は家人がその地に移り住んで来た時から可憐な花を咲かせ、その実りを分け与えてきた。
人はその実を摘み、誰に教わる事なく最新のオーガニック農法とされるマルチング(腐葉土の循環利用)で木を護り続けてきた。
しかし現在ではこのコーヒーを切り倒してチャットを植える人々も多いという。
チャット1kg=750円、コーヒー 1kg=180円。言うまでもなくチャットは「もうかる作物」なのだ。

数年後、この古木はまだ人々と寄り添っている事が出来るだろうか。
コーヒーの木陰でチャットを噛みながら遠巻きに異国人を見つめる人々たちの背後には、数千年をまたいだ神話時代の痕跡と先進国に搾取されてきた歴史が見え隠れする。

アフリカ。
人とコーヒーの原初の地にかってを彷彿させる懐かしい未来はあるのか。
それにはコーヒーに携わる生産国の現状をもっと私達は知る必要がある。
原初の地に生まれた人類が長い旅を経て再びここに戻って来たとき、その変化の中で見出すべき道標は人々と寄り添ってきたこの古木なのかも知れない。

 

神々しささえ感じる古木。今なお枝先から新芽をのぞかせる。
 
ヒロコーヒー
焙煎責任者 山本光弘